#38 寒くなってきました。
GIGAスクール構想が進められる中で、何をどうしたらいいかを考えながら、クラスのこと、学年のこと、学校のことで余裕がない。
でも、やるしかないのでやります。笑
最近の認識で変わったこと。
それは、不登校の概念です。
今まで、「不登校の子」がいたら、
「どうにかして学校に来て欲しい」
「問題を解決して、早く登校するようにしないと」という責任感で、熱量で、取り組んでいました。(今も変わらないところもありますが。)
それは、不登校というと、
「友達関係」や「勉強がわからない」といったことが原因だと思っていて、
それを解決したら登校できる!
と思っていたからです。
しかし、不登校=原因が上記のものだけではないことがわかり、
「無理に行かせなくても」と思うようになりました。
例えば、HSCの子ども。
人一倍敏感で、刺激に弱いといった理由で、学校がきつい場所に感じて、学校に足が向かなくなる。大人数が苦手で、どうも行きたくない日がある。
それは、友達関係でトラブルがあったわけではなく、勉強がわからず行きたくなくなったわけでもないようです。
学校は一律に同じことをやる場所?だから、それを縛りのように感じる子もいるはず。
それを教師の都合で、やれ不登校や行きしぶりだと判断し、どうにかして連れてこようというのがおかしいことだなと思いました。
もちろん、個々への支援は必要ですが、
「学校来るのが当たり前じゃないか!」という自分らの価値観を押し付けるのはよくないなと。
子どもにも、子どもなりの考えや感じ方があるはずなので、まずは話を聞いてあげたい。
そして、無理を強いるのではなく、一緒に答えを出したい。
『』をしていると、
一人も見捨てたくない=いつもみんなで
と思ってしまうこともありました。
でも、一人も見捨てないは、本当はそんな意味ではなく、互いの個性を認めて、お互い力を貸し合いながら行こうじゃないかということだと思いました。
学校に来て学ぶこともあれば、
失うこともある。
自分の価値観で、
自分の考えと異なる子どもを見捨てたり、
何かを失わせてはいけない。
少し勉強することで、
視野が広がったかなと思いました。
常にそんな先生でありたいのですが、
余裕がない時に、悪い自分が顔を出します。
そして、
やっぱり子どもに学ばせてもらっています。