#39 悩みに悩んで…

 

今、かなり忙しい!

深く考えることが多い!

いや、そんなに深くないのかもしれないけど、やっぱりいいものにしたいし、みんなにもそう思ってほしいので最善を尽くそうとは思います。

ただ、頭がパンクすることがあって、自分の仕事が後回しになり、バタバタしている…

年に一回くらい、そんな時期もあるよな…

と思いながら頑張ります!

贅沢してマッサージ行きます!

 

 

 

そして、、、

ついに2年くらい悩んだことが解決?しました!

家のパソコン問題です。

ずーーーっとMacBook欲しくて、妻にねだったけど、Windowsずっと使ってる人にとっては使いづらいということで、許可がおりることはありませんでした。(プレゼンしたけど、最後までダメでした。Windowsと違うというイメージでもうダメだったな。)

 

なのに、このタイミングでMacBook新しいの出たやないかーい!再びねだる!(もちろんダメ!)

諦めてヨドバシでウロウロすると、VAIOが安くなってる!(少しだけ型落ち)

スペックも申し分なくてこの値段!(妻も使える!)

 

ということと、

 

VAIO担当の方の、ぐいぐいこないけど、必要なところはしっかり説明してくれるし、きちんとこちらの使い方や予算も考えて発言してくれる感じが良くて、決めました!

 

服買う時もそうだけど、

やっぱり最後は「人」だな。

 

「〇〇が言うなら…」と思われる人になってみたいものです。

 

 

#38 寒くなってきました。

 

GIGAスクール構想が進められる中で、何をどうしたらいいかを考えながら、クラスのこと、学年のこと、学校のことで余裕がない。

 

でも、やるしかないのでやります。笑

 

 

 

最近の認識で変わったこと。

それは、不登校の概念です。

今まで、「不登校の子」がいたら、

「どうにかして学校に来て欲しい」

「問題を解決して、早く登校するようにしないと」という責任感で、熱量で、取り組んでいました。(今も変わらないところもありますが。)

 

それは、不登校というと、

「友達関係」や「勉強がわからない」といったことが原因だと思っていて、

それを解決したら登校できる!

と思っていたからです。

 

 

 

しかし、不登校=原因が上記のものだけではないことがわかり、

「無理に行かせなくても」と思うようになりました。

 

例えば、HSCの子ども。

人一倍敏感で、刺激に弱いといった理由で、学校がきつい場所に感じて、学校に足が向かなくなる。大人数が苦手で、どうも行きたくない日がある。

それは、友達関係でトラブルがあったわけではなく、勉強がわからず行きたくなくなったわけでもないようです。

学校は一律に同じことをやる場所?だから、それを縛りのように感じる子もいるはず。

それを教師の都合で、やれ不登校や行きしぶりだと判断し、どうにかして連れてこようというのがおかしいことだなと思いました。

もちろん、個々への支援は必要ですが、

「学校来るのが当たり前じゃないか!」という自分らの価値観を押し付けるのはよくないなと。

 

子どもにも、子どもなりの考えや感じ方があるはずなので、まずは話を聞いてあげたい。

そして、無理を強いるのではなく、一緒に答えを出したい。

 

『』をしていると、

一人も見捨てたくない=いつもみんなで

と思ってしまうこともありました。

でも、一人も見捨てないは、本当はそんな意味ではなく、互いの個性を認めて、お互い力を貸し合いながら行こうじゃないかということだと思いました。

 

学校に来て学ぶこともあれば、

失うこともある。

自分の価値観で、

自分の考えと異なる子どもを見捨てたり、

何かを失わせてはいけない。

少し勉強することで、

視野が広がったかなと思いました。

 

常にそんな先生でありたいのですが、

余裕がない時に、悪い自分が顔を出します。

 

そして、

やっぱり子どもに学ばせてもらっています。

 

 

 

#37 前向きな気持ち、カモン!

今の気持ちの備忘録。

 

4連休に入りました。

普段行けない実家帰省や病院巡りなどで終わりそうです。

 

 

 

そろそろ1学期が終わります。

とてもハードなスケジュールでしたが、本当に子どもにもお疲れ様と言いたい。

自分自身にも。

 

3密を避け、疲れていく子どもたちを相手に授業をするのがどれだけしんどかったか。(無理だった)

制約がある中で、芯を持ち続けて授業を行うことがどれだけ大変だったか。(無理だった)

行事もなく、1年生のお世話もすることなく、最上級生としての自覚を持つように指導するのがどれだけ大変だったか。(無理だった)

ものすごく頑張ったはずなのに、なかなか成果は得られてない。

 

 

一方で、今年は「けテぶれ」にチャレンジしてみて、ある程度の成果が見られた!

子ども自身が「学習者」として、家庭学習や自主学習に取り組もうとする姿が見られた。これをいろいろなものに広げていけたら…と思った。「学びのコントローラー」の話も浸透してきたと思う。

 

また、「かしこさの階段」を使うことで、逃げ出す→向き合うに行けた子がいた。大きな成長。(振り返りジャーナルより)

もっと、充実させたい!!

 

社会の新聞づくりは、同学年も真似してくれて、他学年の先生から、お手本として見せてくださいと言われることも!(ただ、時間はアップアップだった…泣)

 

しかし、1学期を通して見ると…

一方的な指導。

やらせる感。

チャーミングな課題も与えられず、本当に子どもたちが「こなす」ような時間になってしまっていた。

もっと、子どもたちと考えたり、一緒に考えたら、課題を乗り越えて行きたかったのだけれども、そんなことがほとんどできなかった…

子どもたちもたぶん深く考えるなんてこともなかったかも…

 

 

どうしたら良かったのか考えるけれども、なかなか答えが出てこない…

2学期は「よし!やるぞ!」と思えて、迎えればいいのだけれども…

 

そして、8月にある全国『学び合い』フォーラム。なんと妻の実家に帰る日…(飛行機ではさすがに見れない…)

いつも参考にさせていただいている方々が分科会を行われるようなので、どうにかして参加したいのだけれども…作戦を考えなければ…

 

とりあえず2学期の見通しを早めに!

心が乱れてるので、つい嫌な一言を言いそうだから、嫌な奴にならないように、黙っとかなければ!!(もう遅いかも)

 

 

#35 のんびり

 

豆からコーヒーを入れて、チョコレートをお供にのんびり。

 

最近をふり返ると、そんな時間なかったなーと思います。

 

忙しさの中でもこんな時間を大切に。

子どもに忙しさを押し付けないように。

子どもたちの反応やペースを見て仕事ができる余裕を。

 

ハプニングはまだまだ起こる。

みんなで(大人も子どもも)乗り越えていきましょう。

 

 

#33 缶ビールが一本飲めずに寝落ち。

 

SNSで、『』の先の話をされている方がいる。

今まで、その方達が言われていることがほとんどわからなかった。(恥ずかしながら)

 

 

 

『』は「simple」だけど「easy」ではない。

「コロナだから、『』はできない」それは方法論として考えているから。

 

最近それらが、時々ストンと落ちるようになった。

 

今は、自己探究者的なことが気になる。

その中で、

「どうしたらみんなが安心して学べるか?」

→自分で考えつつも、いつでも周りが助けてくれる安心感。

「主体的に学ぶとは?」

→学びのコントローラーを渡す。見取り、良い方向に進めるために一緒に考える。伴走者のイメージ。

「個別最適化」

→学習の理解の進度、深度は違うので、周りの考えを取り入れながら、少しずつ自分をパワーアップ。

自分の中での問題を、周りの考えを取り入れながら解決できる。

 

 

残念ながら、勤め出した時は『』を自分の一本槍の武器のように捉えていた。

今は違うなぁ〜。

何というかな。

コア?核?脳?ハート?方向性?芯?見方考え方?笑

 

どの言葉が適切なのだろう。笑

とりあえず、変わってきたということ。